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2008年1月 3日 (木)

2007 12/20(木) 13:39

田中様


 私は「信楽をえて」いますが、今度、田中様にお叱りをうけたように、教えに昏いところがあるかもしれませんが、その点は、宜しくご教授ください。

「生まるべからざるもの」とは、「無善造悪の凡夫」のこと。「生まれさせた」とは、「摂取不捨したまう時」のことである、とご回答頂きました。それでお尋ね致します。

「願力の不思議をもって」「生まれさせた」と言われる、「生まるべからざる、無善造悪の凡夫」とは、いかなる者でしょうか。田中様に「生まるべからざる者」の自覚がおありですか。願力の不思議を疑っていられる田中様にお聞きするのは、無理なことでしょうが、できたらお示し下さい。


次に、「生まれさせた」とは「摂取不捨したまう時」のこと、と言われている「摂取不捨したもう」とは、「無善造悪の凡夫」の、どこが、どう変わるのか、何も変わらないのでしょうか、お尋ね致します。


「信楽をえていない」人が、「信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば……」と、ご文をながながと出されて、『このように、親鸞聖人の記述から、改邪抄の「生まれさせた」は、生きている間であり、「若不生者」の「生」は、死後であることが明らかです』と、田中様は仰いますが、どこにも、「若不生者」は、「死んで極楽に生まれるということだけのことである」と、仰せになっていると思われるご文は見あたりません。文章の理解力が無いためかもしれませんので、具体的に、そのご文を提示して頂きたくお願いします。


改邪抄の「生まれさせた」を、死後のことだと、田中様が仰っていると、当方、一度も言ったことはありません。誤解のないよう、申しあげておきます。


「若不生者」の「生」を「死んで極楽に生まれる」という以外の意味に仰っている、親鸞聖人のお言葉を、まだいただいておりません、と田中様は言われていますが、既に、提示してはいるのですが、本願を疑っていられる方には届かないのかもしれません。しかし、その内、必ず分かって頂けるものと強く期待しています。


(株)チューリップ企画  サービス課  山田

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